片づけ瞑想〜人生がときめく片づけの魔法
瞑想の効果は
その目的(瞑想になにを求めるのか)にもよるでしょう。
いまを意識する
いまを生きる
(いまだけがあるのだから)
このあたりはよく言われることで
心の平安がほしい
おだやかに暮らしたい
不安や後悔で悩みたくない
といったことにはたしかに
「いま」をリアルに感じられれば効果があるでしょう。
たとえすわってする瞑想、そのひとときだけであっても
思い悩む原因のストレスから、その連続性を断ってしまえばいいので、いっときであっても有効です。(それが最善かはまた別ですが)
言葉と心を獲得したことで(「心」という漢字は 3,000 年前にはなかったとか)
時間や概念、論理といったものを得て、抽象的な思考が可能になり、現在まで人類は発達、発展をしてきたわけですが
その弊害として以前(心をもつようになる)にはなかった「過去(いまはもうない)」、「未来(まだ来ていない)」を思えるようになり、後悔や不安にさいなまれる「才能」まで手に入れてしまったわけです。
その「思う」こと。
そこにしか存在していない(情報次元においてしか)なにかに苦しむのは頭のなかだけではなく、物理次元にもしっかり写像(実体の影として)されているんだってことがとてもわかりやすく書かれているのが、コンマリさん(『片づけの魔法』で世界的に有名な)のこの言葉。
しかし結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。
ぜんぜん使ってないし、
必要ないから処分(捨てる)してもいいようなものを
後生大事に(そのために、貴重なスペースをさいてまで)とっておいたり
これがあれば「○○が起きたときに役立つかも、、」などといって、、
そういえば、むかーし
ドラえもんで
のび太くんが押入れのガラクタを
ドラえもんに言われて処分するかどうか
迷ったとき、切れた電球(とか、そういったもの)にたいして
“ 切れた電球は停電していないときに使えるし ”
なんて答えていて「捨てない理由」の正当性を訴えていたのを思い出しました。
ひじょうにわかりやすい創造的回避(捨てないことへの)ですね。
ちまたでは「瞑想、マインドフルネスはまだまだ。ビッグウェイブはこれからだ」みたいにいっているひとたちがいますが、いわゆる瞑想的なことと思われていないものにこそ、瞑想のエッセンスが潜んでいたりもします。
そんなことを明らかにしてくれるひとりとして
コンマリさんの存在は大きいです。
片づけ瞑想、いいですね。
ボケーッとすわって、した気になっている
瞑想もどきの何倍も。