ショウジンブログ on Hatena

“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

片づけ瞑想〜人生がときめく片づけの魔法

瞑想の効果は
その目的(瞑想になにを求めるのか)にもよるでしょう。

いまを意識する
いまを生きる
(いまだけがあるのだから)

f:id:showjinx:20220418121249p:plain

このあたりはよく言われることで

心の平安がほしい
おだやかに暮らしたい
不安や後悔で悩みたくない

といったことにはたしかに

「いま」をリアルに感じられれば効果があるでしょう。

たとえすわってする瞑想、そのひとときだけであっても
思い悩む原因のストレスから、その連続性を断ってしまえばいいので、いっときであっても有効です。(それが最善かはまた別ですが)

言葉と心を獲得したことで(「心」という漢字は 3,000 年前にはなかったとか)

時間や概念、論理といったものを得て、抽象的な思考が可能になり、現在まで人類は発達、発展をしてきたわけですが

その弊害として以前(心をもつようになる)にはなかった「過去(いまはもうない)」、「未来(まだ来ていない)」を思えるようになり、後悔や不安にさいなまれる「才能」まで手に入れてしまったわけです。

f:id:showjinx:20220418121921p:plain

その「思う」こと。

そこにしか存在していない(情報次元においてしか)なにかに苦しむのは頭のなかだけではなく、物理次元にもしっかり写像(実体の影として)されているんだってことがとてもわかりやすく書かれているのが、コンマリさん(『片づけの魔法』で世界的に有名な)のこの言葉。

しかし結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。

ぜんぜん使ってないし、
必要ないから処分(捨てる)してもいいようなものを
後生大事に(そのために、貴重なスペースをさいてまで)とっておいたり

これがあれば「○○が起きたときに役立つかも、、」などといって、、

f:id:showjinx:20220418122412p:plain

そういえば、むかーし
ドラえもん

のび太くんが押入れのガラクタを
ドラえもんに言われて処分するかどうか
迷ったとき、切れた電球(とか、そういったもの)にたいして

“ 切れた電球は停電していないときに使えるし ”

なんて答えていて「捨てない理由」の正当性を訴えていたのを思い出しました。

ひじょうにわかりやすい創造的回避(捨てないことへの)ですね。

f:id:showjinx:20220418122706p:plain

ちまたでは「瞑想、マインドフルネスはまだまだ。ビッグウェイブはこれからだ」みたいにいっているひとたちがいますが、いわゆる瞑想的なことと思われていないものにこそ、瞑想のエッセンスが潜んでいたりもします。

そんなことを明らかにしてくれるひとりとして
コンマリさんの存在は大きいです。

片づけ瞑想、いいですね。

ボケーッとすわって、した気になっている
瞑想もどきの何倍も。

www.youtube.com