制限があるからこそ、この世界は味わうに足るものなのだから〜やばいデジタル
『やばいデジタル』。
タイトルはそのまんま、俗っぽくて軽い感じがしますが内容はけっこうしっかりしていて好著です。
NHKスペシャルというテレビ番組があって、そのときの取材内容を活字にしたもののようです。
内容はもう帯にあるとおりで「フェイクの横行、プライバシーは丸裸」「あなたが “本物(リアル)” ではなくなる未来」。
フェイクといってもいろいろあって、もはや動画も簡単にフェイクが作れてしまうとか。(ディープフェイク、フェイクポルノといった)
マーク・ザッカーバーグも標的にされて、彼の実際の動画をAIを使って編集して、言ってもいない(マイナスイメージの)セリフをしゃべらせて、それが拡散したとか。
フェイクポルノに至っては本当におそろしい。(これも至極簡単に作れるそうで、それを請け負う市場もあるらしい)
一般の人でも、それを作られて「100万円振り込まなかったらSNSで拡散する」と脅されたら、と考えると。(もうハニートラップも痴漢にかこつけたそのへんも不要になるかも)
フェイクポルノの制作者にしたインタビューへの回答がまたぞっとします。
将来はAI技術を使って、人の役に立つ仕事をしたい
と語りつつ、ドラマの主演女優やアイドルがアダルトビデオに出演しているかのように見える精巧な動画を作り、サイトに掲載して広告収入を得ている。(それはそれで人の役に勃つのではあるだろうけれど)
取材者に「後ろめたさはないのか」と聞かれると
まあ単純にその、僕もフリーランスエンジニアでまだ自分のその事業が軌道に乗ってるわけじゃないので収入源になるかもしれない事にもう片っ端から手を出してるっていう、これはそのひとつってだけなので、ビジネスだと割り切っています
政治にからんだところでは、フェイクと印象操作は違うという主張もあったりして、その定義というか線引きは難しいところもあるのかなと。(スピーカーが見栄えをよくして話術を磨き、話す内容に説得力を持たせることなんかは当たり前で、これも印象操作といえばそうだし)
メキシコではもうフェイクなしでは選挙に勝てないとか。(おれは「フェイク王になる」と熱く語り、実際そうなっている人も)
また、デジタルツインなるものも紹介されていて、これは例えばGoogleの利用履歴によって「もうひとりのあなた」をデジタル空間に作り出し、その人物像(リアルの)を解析することも可能だとか。
実際、被験者をつのって協力してもらい、かなりの精度で本人の実像に迫った結果には本人もびっくり。(住所、仕事、収入や貯金、配偶者の有無や浮気性かなんてことまで)
びっくりしつつも、このことからプライバシーについて慎重になるつもりはないようで以下のように答えています。
インターネットは、インフラに近いと思うんです。例えば水道から水が出るとか、電気がつくっていうことと、同じレベルだと思います。僕は、子どもの頃からインターネットが身近にあった世代なので、あんまりネットに対する恐怖心がないっていうのもあるかもしれないですけど。怖さよりも便利さの方が勝ります
なるほど。(してやったり)
これもまた「ニューノーマル」の一面なのかも。(バカにして言ってます)
もう私や私に近い世代が思い、感じている「プライバシー」という概念は古いのかもしれない。
実際、これも本書で紹介されていますが、いわゆるZ世代(1990年代後半〜2000年代生まれ)はプライバシーについてとくに心配もせずスマートフォン、インターネットを使って(信頼して)いる割合が高いと。
世界ともっと繋がっていたい。そうでないと、いろんなことから疎外されてしまう。
その繋がりとはどんな繋がりなんでしょう。
もちろん、私もその利便性を手放すことはできないし、ラッダイト運動のようなことを主張するつもりはありませんが、技術にヒト(とくに法整備)が追いついていっていないことは明らかで、それが様々な問題にもなっている。
せめて、そういったことを頭のどこかに置いて、意識して使わないとなぁと思ったのでありました。
そもそも、便利ってそんなに最高、善、いいものでしょうか。(ベンサムの功利主義、快楽が多いほど善い)
不便だからこそ味わえる豊かさはいたるところにあります。(そうしたものが何も浮かばない人は、これからそれがひとつでも見つかるまで探してみるといいでしょう)
制限があるからこそ、この世界は味わうに足るものなのだから。