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“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

道徳が私たちの望む世の中のあり方を映しているのだとすると、経済学が映しているのは世の中の実際のあり方だ〜ヤバい経済学

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経済学。

これまた哲学と同じで苦手なんですが、行動経済学なんかは心理学なのでとっつきやすくて面白いですね。たとえばダニエル・カーネマンの著作とか。

カーネマンはおいておいて、こちらの『ヤバい経済学』について。

原題は『Freakonomics』で、もちろん造語。「Freak」と「Economics」のかけあわせですね。

経済学(だけではないですが)が苦手なわたしでも、この「異色」の経済学の本は楽しく、そして有意義に読めました。

「これはむしろ社会学だ」と批判的に語られることも少なくないようですが、そんなところがむしろわたしには良かったのかもしれません。(実際、統計学計量経済学みたいなことはぜんぜん出てきませんし)

本書はこちら、ふたりのスティーブンの共著。

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レヴィットのほうは異色、変態(経済学者としてとる手法、扱うテーマ、興味、視点などなど)で、そこがまた本書では豊かに表現されていて好感。(誰だって、多少なりともアウトロー的なものに惹かれる、ましてや実力や現実面における評価が高く認められていればなおさら)

ダブナーは経済学の専門家ではないけれど、作家、ジャーナリストとしての経験、センスでレヴィットを見事にサポートし、本作を昇華させています。(マスメディア対して懐疑的、否定的な感情があった当初のレヴィットにとって、ダブナーとの出会いがなければ本書は世に出なかったでしょう)

本書はテーマごとに章立てされていて、そのタイトルもそれぞれユニークなんですが、たとえば

「学校の先生と相撲の力士、どこがおんなじ」とか
「ク・クラックス・クランと不動産屋さん、どこがおんなじ?」とか。

ク・クラックス・クランはそう、KKKのことですね。

とくに面白く、興味深く読んだのが

「ヤクの売人はどうしてママと住んでるの?」

という章。

ある大学生が指導教授の指令でなんと、麻薬の売人たちの真っ只中に潜入調査へ。

かなり危険な(生命をおびやかす)めにもあいつつ、だんだんと彼らの社会に溶け込んでいき(実際、何度かもどり数年間彼らの中で同じように息をして、酒を飲み、調査を続け)指導教授が予想もしてなかったような(また、レヴィットにとっても)貴重なデータを手に入れる、なんてちょっとした小説や映画のネタに十分なりそうな体験を我々は活字で疑似体験できます。(しかも超圧縮版で)

本書の「異色さ」をちょっとでも味わうのに少しは役立つかもしれない著者たちの言葉からいくつか引用します。

でも、たしかに「ヤバい経済学」には一貫したテーマなんてないけれど、ヤバい経済学を日々のあれこれに応用するとき、少なくとも一つ、いつも底のほうに流れているものがある。それは現実の世界で人がどんなふうに動くかについて、筋の通った考え方をするということだ。そのために必要なのは、新しい見方をする、新しい理解の仕方をする、新しい測り方をする、そんなことだ。難しいことだとは限らない。ものすごく複雑なことを考えなければいけないとも限らない。

もうひとつ。

今までより通念を疑ってかかるようになる。物事は目に見えるのとはぜんぜん違うっていうヒントを探すようになる。自分の知性と直感のバランスをうまく取りつつデータを山ほど集めてふるいにかけて、光り輝く新しいアイディアを探すようになるだろう。そんなアイディアは、居心地がいいものとは限らないし、大ブーイングまでくらうかもしれない。中絶の合法化で犯罪が大幅に減ったなんて、道徳派からの猛反発は必至だ。でも本当は「ヤバい経済学」の考え方は、道徳と相反するわけじゃないのだ。最初に書いたように、道徳が私たちの望む世の中のあり方を映しているのだとすると、経済学が映しているのは世の中の実際のあり方だ。

ここにも現状のグロテスクな未来(マスクやら密を避けるやら、○○が言ってるからというだけで唯々諾々と従う家畜化されたひとたちがあふれる光景)に疑問をなげかけるきっかけにならないでしょうか。

もちろん、それを求める者にのみではあるけれど。

なぜならば、考えないことは「楽」だから。

たとえ楽は「楽しい」のではないとしても。