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“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

かたちの大切さ

瞑想を日々実践していくと
そのときどきでその質というか
感覚の違いを感じてくるでしょう。

最初のうちは
退屈だ、つらい、集中できない。

なんでこんなことしてるんだろう?

なんていうネガティブな思いや
感覚のほうが強いかもしれません。

これは多くの人がとおる道だと思います。

数回(数日)の腹筋運動だけで
かっこよく割れた6パック(正確には8パック)の腹筋が手に入らないのと同じです。

それでも、この時期を超えていくと
(そもそも思い込みにすぎないので)

あれ?

なんか最近瞑想が変わったな。

瞑想しやすいな。

とか、

今日の瞑想は感覚しか残ってないけど
なんか気持ちいいというかスッキリ、クリアになったな。

なんて体験ができるようになってきます。
(逆もあります。波があります)

こういった違いを感じられるようになってきたら
ちょっと欲を出してみましょう。
(瞑想は煩悩をなくす、はらうことではありません)

より深い瞑想(の実践、体験)ができるように
「心地よい負荷」、おまけをつけてみるといいでしょう。

それは「姿勢」です。

主に骨盤から頭蓋骨にかけての背骨ですね。

以前は姿勢に厳格にこだわるよりも
まずは定期的にする、習慣化できるようになることに
重きをおいていたのですが、やっぱり姿勢は大切なのです。

もちろん最初から意識して取り組むのも良いですが
日々の瞑想の違いを感じられるくらいになってきたら
姿勢を大事にしていきましょう。

その状態をクリアに感じていきましょう。
(意識して)

下半身については
両膝とおしりが座面について安定していること。

その上に骨盤がなるべく座面に対してまっすぐに立っていること。

そしてその上に背骨ですね。

背骨もなるべくまっすぐに伸ばすことが大事ですが
それは直線という意味ではなく

適切な自然のカーブ(ゆるやかなS字)を
もたせたうえで上に向かって伸び上がっていく感じです。

慣れてくると
あれ?どこまで伸びていくんだろう?

というくらいに天に向かって伸び続けます。
(もちろんそういう意識、感覚ということで実際に背が伸びるわけではありません)

天から降りてきた糸が頭頂に繋がって
天からその糸が上に引っ張られていく感じ
なんていう人もいますね。
(実際そんな体験をしてないと難しいかもしれませんが)

このようにして
瞑想に適切な姿勢を維持できるようになると
集中力というか、意識のコントロールが格段にしやすくなります。 (瞑想も深くなります)

逆のことをしてみると違いがわかるでしょう。

いい加減に胡座(あぐら)をかいて
骨盤も後傾(後ろに傾いた状態)して
猫背な状態で深い瞑想や意識のコントロールはしにくいです。

心も身体もだら〜んとします。
(これはリラックスではありません)

習慣化(毎日じゃなくとも、数日おきとかでもいいので)のハードルを超えたら、このように姿勢も意識して(コントロールできるようクリアに)瞑想の「質」をたかめていくといいでしょう。

癒やしやストレス軽減、

いわゆるマインドフルネスといった次元を超える(それらを求めるのがいけないということではなく)「覚醒」のためのツール、乗り物としての瞑想も楽しんでみてください。

ヨーガ行者の成瀬先生と認知科学者の苫米地博士の対談本『瞑想と認知科学の教室』がとても面白いです。(軽快に読めますが深いです、読み手次第で)

ちょっと抜粋、引用して終えます。

成瀬先生  瞑想しているというのは、すべてをコントロールしているということですからね。全部認識できて冷静にクリアな状態になることなんですけど、瞑想するとボーッとなって気持ちいいだけっていうのが流布してるので、そこを勘違いしてる人は多いですね。それは瞑想とは言いません。

苫米地博士  瞑想は意識の正確なコントロールのことだからね。 〜中略〜 瞑想することで人間は覚醒するの。

読みやすいぶん、初学者は「わかった」(つもり)というトラップに自ら陥る可能性もあるので注意しましょう。

もちろん、わたしはちゃんと読めたなんていうつもりはないですが(実際、これまでの思い込みがたくさん恥ずかしいほどに明らかに)少しでもちゃんと理解したい方は瞑想の講座、体験会へどうぞ。

体験と、そこからの経験をともなってはじめて 知識は智慧(ちえ)に昇華します。