サティに固執しない〜ヴィパッサナー瞑想の注意点
仏道における瞑想には
の二つがあります。
そして、顕教の瞑想は
止行(しぎょう) 観行(かんぎょう)
このふたつに分けられます。
このふたつを一緒にして (起きていることを先入観や解釈をはさまずにただ「観る」という点で)
「止観」の瞑想ともいいます。
ヴィパッサナー瞑想は「観行」の瞑想です。
起きていることをありのままに観る(随観)瞑想法です。
「止行」はサマタ瞑想になります。
これは三昧(サマーディ)に至ることを目的とした一点集中型(随念)の瞑想法です。
ヴィパッサナー瞑想はテーラワーダ仏教のスマナサーラ長老がとてもわかりやすく解説してくださっている本がいくつもあります。
おかげで私もそれらを参考に独習、実践することができました。
しかし、それで実際に効果があったかは別です。
ヴィパッサナー瞑想では「サティ」という気づきをいくつも入れていきます。
これはラベリングとも言われるのですが、本などの解説(人による解説でも)によってはラベリングが強調されていて、それが目的のような印象を強く受けることがあります。
ラベリングは、呼吸なら息を吸い始めるときに下腹部のふくらみに対して
ふくらみ
吐くときには
ちぢみ
と名前をつける(ラベリング)ことです。
これを咒文(じゅもん)のようにただ繰り返してやっているのでは求める効果からむしろ離れてしまいかねません。(瞑想になにかを求めることの是非はここでは脇においておきます)
ラベリングはひとつにつき一度、割合は一割で残り九割は、していることに集中(意識にあげる)して感じきります。
ラベルを貼るのは一度につきひとつで十分ということです。
このポイントを踏まえて歩行瞑想(歩行禅)を説明します。(ヴィパッサナー瞑想の集中対象は呼吸だけではありません)
歩行に必要ないくつかの行程を
↓離れた ↓移動した ↓接触した ↓圧力を感じた
と分け、ひとつひとつを丁寧にとてもゆっくりと行います。
ラベリングはこれらの行為を完全に終えた段階でします。(呼吸の場合ははじめるときにラベリング)
動かす足を地面からゆっくりと(前に進むために)離し、足が地面から完全に離れた段階で
「離れた」 とラベリング。
移動先の位置までじっくりと行為を味わい、感じながら動かし、もうこれ以上は進まないというところまで動かしたら
「移動」 とラベリング。
移動した足を地面にゆっくりとつけていき、完全に足がついたら
「接触」 とラベリング。
次の一歩(反対の足)を踏み出すために体重移動をしそのための圧力が足の裏全体にかかりきったら
「圧力」 とラベリング。
これを左右の足で繰り返して一歩一歩、歩きながら瞑想します。(端までいったらUターンです、そのときもこの要領で)
町中等、屋外でやると危険です。
このやり方で歩行のヴィパッサナー瞑想をすると非常にゆっくりにならざるを得なくなり、また集中力も必要です。
20分もやると体中が熱くなってきます。
歩行等、ふだん無意識、無自覚、惰性でやっていることをこうやってひとつひとつ細かく分けて観察(髄観)し、味わうようにして行うと、これほど違います。
私がこのポイント(注意点)を知らずに実践していたころは歩行瞑想は普通の速度で、
とてもじゃありませんが
「感じる、味わう」
どころではなく、ただラベリングをしていた程度のものでした。
参考にする解説書にもよるかと思いますが、ご自身で実践する場合には、この点に十分注意をするといいです。
おすすめの書籍は地橋秀雄さんの書かれた『ブッダの瞑想法』です。
この本ではヴィパッサナー瞑想の効果、効能、なぜ効くのか等も含め、この瞑想法の背景や意味、実践のために必要な解説が丁寧に網羅されています。
とくにラベリングは一割の注意点にも言及されています。