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“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

ザッカーバーグも瞑想をしていた〜フェイスブック 若き天才の野望

タイトルの

フェイスブック 若き天才の野望 』

には、正直なところ「いや、天才は言い過ぎでは?」

と思って読み始めたんですが(失礼)
実際に読んでみると

「たしかに、
それに素養として生まれながらの皇帝なんだなぁ」

なんてことも強く感じ、
今までの偏光バイアス
(偏ったイメージ、思い込み)がとれ、
書き換えられました。

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皇帝といえば、実際、ザッカーバーグ家では
マークのことを「プリンス」と呼んで育てていたそうです。

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いや、このプリンスではなく。
(このプリンスはかっこいいですけどね)

とにかく、本書は面白かったです。
これまた超絶に。

胸熱度は『サードドア』や『ヴァージン』ほどではないけれど、当時のマークのなかにたぎる熱いものはすごく感じられます。

showjinx.hatenablog.com

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もてない nerdガリ勉)、オタクで、
たまたまうまくいっちゃった的な、
ただのラッキーなやつくらいにしか思ってなかったんですが
(これまた超がつくほど失礼ですね)

全然そんなことはなくて
(いや、ラッキーはラッキーで十分に才能であり、実際これについてもマークが持っていることがよくわかるエピソードがたくさん)

未成年時にグイグイとお酒も呑んでいたし、
ガールフレンドもいたし(けっこうモテてたようで)、

学生らしいバカ騒ぎ
(日本とはレベル、スケールが違う)に明け暮れつつ、

そのうえで「人と人をつなぐ」というミッションを核に
(十代の頃から)突き進んでいるんだなぁと
(2020年時点で現在進行系)強く感じました。

とはいえ、
FacebookやなんかのSNS、また彼(マーク)には、
基本的によいイメージも好感も持ってないんですけどね。

なにをもって「天才」といえるのか、わかりませんが、
少なくともワタクシ認定では「天才」マークをぺたりと貼り付けておくことにします。(マークだけに)

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「瞑想」にひきよせると、
マークも瞑想をしていたことが書かれています。

当時(まだ創業して間がないころですね)
リクルートFacebookで働く仲間を増やすのに苦労していた)担当で加わった女性スタッフ(仏教徒で瞑想実践者)が瞑想用のソフトウェアをすすめたんだとか。

また、そうして瞑想にマークが取り組むことが、
このスタッフがFacebookリクルートを担当するための交換条件でもあったんだと。

そして、実際に瞑想の効果はあったそうで、
マークはしばらくして「瞑想の効果はあった」と伝えたそうです。

とはいえ、本書を読むに
マークはきわめて日常的に瞑想状態というか、
とても深い変性意識状態(いわゆるトランス状態)
に入ることが多く、

それも意識的にナチュラルに
できていたんではないかと。

ときにそれは弊害も生じさせていたようですが
(いきなり別次元にアクセス、魂ここにあらずみたいな)。

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まぁまぁ、
とにかくわたしのマーク・ザッカーバーグ評というか、認識はとんでもなくアップデートされました。

たとえもうFacebookから退会していても。
(この決断は本当によかったです。おそすぎたかってくらい)

彼の理想としての「つなぐ」が
わたしの求めるものと違うだけで、

彼のその思いの純度は強く濃く
(だからこそ、ブラックホールのように周囲を巻き込み、引きずり込んでいく力を持つ、、結果はときに悪いことにつながることも)、

それはそれで十二分に彼を尊敬することができます。

われわれは誰もが
「ひとりいち宇宙」を生きているわけですが、

マークのそれは桁違いに巨大で、
とてつもない引力を生じさせている。
(その起点は情報次元における彼の思考、思い)

実際、それが物理次元に写像されて
世界中のひとたちが Facebook に引き寄せられ、
巻き込まれている。(わたしは抜けましたけど)

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そんな強烈な彼にも
かわいらしい?ところもあって
(子供っぽいというか)

たとえばラリー・ペイジGoogleの創業者のひとり、元アルファベットCEO)に

Facebookつかってる?」(マーク)

「いや、使ってない。僕にはあわない」(ラリー)

というやりとりのあと、
それでもまだ

「なんで使わないの?」(マーク)

と、ピュアに「使ってほしい」感
満載でラリーに食い下がるところを
シェリル・サンドバーグGoogleで数々の偉業をなしとげたあと、FacebookのCOOに就任)から

「こういう場でそういうことを話すものじゃありません!」

とたしなめられる始末。
(この場には本書を執筆したライターも同席していましたし)

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左がシェリル、右は『 GIVE AND TAKE 』(これもオススメです)のアダム・グラント(組織心理学の研究者)。

しつこいけれど、とにかく面白かったし、
同調させてもらって自分自身が体験していないことを、
あたかも体験しているかのように(度合いは当人たちにはるかに劣るとしても)味わわせてくれたことに感謝の一冊でした。(ライターのデビッド・カークパトリックもグッジョブ)

本書を読み始めたころに
ちょうど Facebook を退会したんですが(皮肉なことに)それは本当によかったです。

SNS疲れ」なんて言葉も聞きますが、
そうは感じていないひとでも、

短期間でもいいから
一度は離れる機会をもつといいと思います。

Facebookに関していえば(Twitterなんかも)、

退会しても一ヶ月くらいの猶予期間があって、
その間は退会を取り消して戻れる仕様になっていますから、
やっぱり必要だなと思ったら戻ればいいです。

ただ、SNSがなかったときを思い出す。

それがあるのとないのでは、どう違うんだろう?

ということに意識を向けて生活してみることも、また「なくす、へらす」ことから得られる豊かさの発見につながるかもしれません。(Less is More)

すくなくとも、
自己顕示欲や他者からの承認欲求が強いひとたちの「おれ、わたし、こんなにすごいんです!」っていう空疎な空威張り投稿を目にしなくなるだけでも、本当に自分が大切にすべきところに意識を向ける余裕が生まれると思います。

本書は2019年の暮れに読み終え、
そしてさらに「伝記、自叙伝の旅」はつづいていて、そのあとに読んだ『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』も超絶面白く(こちらも「野望」ですね)、そしてそして次はウォズニアック(アップルの、もうひとりのスティーブですね)へと続くのでありました。

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ウォズニアックの自伝もとてもおもしろく、また興味深く読めました。

ジョブズとガレージで起業したこと(世間一般でいわれている)は間違いとか、

ウォズニアックがいなければ、
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のハイライトシーンである LIVE AID は生まれなかったであろうこととか、いろいろと。

そして、このひとは本当に
「アップル」を創ったのだということ。
ジョブズは情報空間で、ウォズは物理空間で)

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