ショウジンブログ on Hatena

“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

左脳をだまらせて右脳で描く〜脳の右側で描け

瞑想は目を閉じて、心静かに座ってするもの(だけ)ではありません。

いわゆる瞑想とよばれる行為をしていなくても、一心不乱に打ち込んでいる状態も瞑想(的行為)といえます。

ヨガや筋トレ、楽器演奏やダンスといった芸術、自己表現。

数学や哲学、科学等の研究者がする思考もそうだといえるのじゃないかなと思います。

だから、案外本人はそれとしらずに瞑想をしていることは多いのかもしれませんね。

ひさしぶりに過去の写真を見返していたら「描く」ことが瞑想になっていた経験を思い出しました。

とあるワークショップに参加したときのことですが、言語野(左脳)の活動を抑制して、右脳を前面に引き出して描くというものです。

いろんなワークがありましたが、これはポジとネガを転換して描いたものです。

狙ってやらない限り、ふつう絵を描くといったら対象そのものを描きますね。

花瓶なら花瓶、りんごならりんごそのものを描きますね。(ポジ)

これを反転させると(輪郭から外)「ネガ」になります。

この絵は黒く塗りつぶされたものが物体としての描く対象でしたが、実際に描いたのは(そう意識して)白い余白(ネガ)部分です。

さて、なにを見て描いたのでしょう?

これです。

パイプ椅子をくんぐほぐれつ、積み重ねたものです。

あまり創作意欲がわく「モデル」ではなかったですが、ふだんと違う意識、視点をもって長時間(3〜4時間くらい)取り組んだので頭が、脳が非常に疲れました。

見てのとおり、椅子がこんがらがったようなものなので、描くには相当集中、観察する必要があります。

そう、思い切り、まっすぐ「瞑想」です。 (時間の認識もとぶので、描き終えたら数時間経っていたという)

途中で具合が悪くなって(脳疲労)倒れ込んでしまいましたが。

こちらは左手(利き腕じゃない手)を使って、そして手元は見ずに対象(目)を鏡で見ながら描いたものです。

「1ミリ1秒ルール」というものがあって、左手で描いているところは見ずに、目は鏡を見続けて、そして左手は線を「1ミリ1秒」かけて(そういう意識で)描きます。

ごらんのとおり、写実的に目とわかるようには描けていませんが(見てませんし)そういわれてみれば、、目にみえませんか?

写真のように写実的に描くことがゴールではありません。

これもふだん使わない感覚、意識を表舞台に立たせて、それが瞑想状態になります。(これは数分でもできますね)

最後に、これはなんでしょう?

これも左手で、描いている紙は見ずに対象を見続けながら描いたものです。

答えは、オードリー・ヘップバーンの白黒写真です。(以下の写真とは違いますが)

「描く」ことひとつとっても、ちょっと取り組み方、意識を変えるだけで瞑想になる例でした。

コピーをとって複数枚で構成してみたり、フレームでの切り取り方を工夫したり、着色したりすればちょっとしたアートにもなるかもしれません。