ショウジンブログ on Hatena

“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

呼吸を意識したセロトニン瞑想

瞑想でも呼吸(法)でも

とくに初心者や不慣れだと感じている(またはやっているけど苦手とか)場合は、このふたつを合わせてしまうのも手だと思います。

瞑想と呼吸(法)って違うんですか?
どう違うんですか?

という質問も少なくないですが
そうしたことを疑問に思っているうちは
「同じ」だとみなして取り組んだほうが早いです。

万人に等しく伝わる唯一絶対の回答はないので。

瞑想の初心者や苦手な人の多くは

「なにも考えない」
「なにもしない」

ことができない、難しかったりします。
(しないことをする=しない、なのに「できない」とはこれいかに)

そして、瞑想はなにも考えない、なにもしないことではないです。

であれば、取り組む対象を決めるといいです。

たとえば呼吸。

呼吸に注目し、観察して(集中して)実践する瞑想(法)は多く、そして一般的ですが(サマタ瞑想やアーナパーナサティ等)漠然とやっていると、ただ座ってしている休憩になる場合が多いです。

showjinx.hatenablog.com

showjinx.hatenablog.com

そこに「法」という形をもたせます。(呼吸に)

呼吸法という形を設定して、その形を追求することに深く入っていくことが瞑想にシームレスに(途切れなく)つながっていくというやり方です。

たとえば、何度か言及している数息観(すそくかん)もそうです。

showjinx.hatenablog.com

数を数える。 呼気を長くする。

という制約(ルール)を課すことで、逆に瞑想を深めることにおいては自由度を獲得できます。(制約を設けることで瞑想に豊かに精力を注げるという意味で)

さらに制約を加えてみましょう。

呼気の長さを吸気の倍にするとか、吸気のあとにすぐ呼気に移らずに何拍か呼吸を止めてみるとか。

呼気を長くすること、呼吸を止めることを間にはさむことは血中の二酸化炭素の濃度をあげ、二酸化炭素への耐性をあげることが目的です。(ただの我慢大会ではなく)

二酸化炭素濃度をあげることでセロトニン神経系に働きかけ、セロトニン分泌を促す(cf.「ストレスをなくす心呼吸」等)

二酸化炭素への耐性をつけることで、呼吸における吸いすぎを緩和します。

適切な二酸化炭素を確保する(適切な量の二酸化炭素がないとヘモグロビンは酸素を解放しない)等の

なぜ呼気を長くしたり呼吸をしない時間をもつのかの理由を理解、自覚したうえでやると目的意識が生まれて、より取り組みやすいでしょう。

間違っても「じゃ、炭酸ガスのスプレー買ってきてそれを吸えばいい」とか、勘違いしないように。それは「ダメ、ゼッタイ。」です。

ここまでは「瞑想」する人向け。

呼吸(法)に取り組みたい人は、問題なくやれていればそれでいいわけですが

ただ「健康にいいらしいから、さー、呼吸するか」だと、なかなかできないというか

ただやるで終わってしまうこともあります。
(自分を大事に思いながらも、本当に大事なところではじつは一番ないがしろにしているものです)

そこ(呼吸法を実践する)に「瞑想」という形を与えるとどうでしょう?

瞑想は坐法(座って)でもってするだけではないですが、座禅のような形を用意して(側を)、そこに呼吸法による呼吸を中身としてトクトクと注ぎ込む。

そうすることで、ただ「呼吸するぞ」よりも深い呼吸法の実践につながります。(形が中身の質を規定してくれます)

呼吸と瞑想の合わせ技を採用することで、どちらも深めることの大きな助けになります。

んー、とはいえ、やはり言葉だけで伝えるのは難しい。すれば(言葉に)するほど大事なところがこぼれ落ちていくようなもどかしさも感じます。