ヴィパッサナー瞑想〜実践編
今回はヴィパッサナー瞑想の紹介です。
これまた(サマタ瞑想の時と同様)長いですが、今回はサマタ瞑想のときとは違って導入(座学編)はなしで実践へ。
ヴィパッサナー。
耳慣れない言葉でしょう。
vipassanā(ヴィパッサナー)はインドの古語であるパーリ語で、その意味は「観察する」とか「気づく」「内省する」といったものです。(たぶん)
これを英訳したのが、いわゆるマインドフルネス。(たぶん)
釈尊(お釈迦様、ブッダ)も悟りを開くまでに実践していたとされる瞑想法です。(瞑想はmeditationの和訳で、けっこう最近のものらしいですね。仏教では禅定というそうです)
仏教系の瞑想を実践されていたり、そういった瞑想のファン、愛好家(という表現も微妙ですが)にとってはけっこう知名度の高い瞑想法です。
興味がある方は以下の二冊がおすすめです。(わたしはもうメルカリでドナドナしてしまいましたが)
日本でとくに知られているのは京都と千葉にあるヴィパッサナーの瞑想合宿(及び施設)でしょう。
10日間、一切しゃべらず、目も合わせず、体も触れ合わず、ひたすらに瞑想をする合宿です。
私も一度体験しましたが、この話はこの話で長くなるので興味のある方はこちらをお読みください。
ヴィパッサナー瞑想に興味のある方はインターネットでも多くの情報がありますし(前述の瞑想合宿を開催している団体やテーラワーダ仏教の)、書籍もたくさんでていますので調べてください。
noteでもけっこう投稿されてるようです。
そうしたことが面倒だという方は、これからする私の説明が参考になれば幸いです。
まず座ります。(瞑想は坐ってすることとイコールではないのですが、ここでは一般に膾炙していると思われるカタチに材を取ります)
おうちでやる場合等、好きな体勢で出来る場合にはあぐらや半跏趺坐(はんかふざ)、結跏趺坐(けっかふざ)といった坐法(ざほう)をとります。
仕事場等で休憩時にする場合には椅子に座ってでもかまいません。
主なポイント、注意点は、下半身が安定すること。(両膝、お尻の三点が床にしっかりと安定して着いていること)
骨盤をなるべく立てて(床に対して垂直に)背筋をのばすことです。(クンダリーニを通します)
お尻の下にクッションや座布団をはさむとお尻の位置(坐骨)が膝より上になり、坐骨を立てやすいです。
座ったら、手の位置を決めます。
ムードラ(印)と呼ばれるものがいろいろありますが、これはお好きに。こだわりのない方は両手のひらを上に向けて(開いて)両膝の上に置くのでかまいません。
このようにして下半身を安定させて座り、手の位置を決め、体重が坐骨(左右のお尻にあります)に均等にかかることを確認したら軽く目を閉じ、呼吸は自然に。
ここから瞑想に入っていきます。
呼吸に意識を向け、この呼吸を下腹で感じます。ですので、腹式呼吸になりますが、胸式のほうがしやすい場合にはそれでも構いません。
以下、腹式呼吸を前提に説明しますが、適宜読み替えてください。
呼吸は鼻から吸い、鼻から吐きます。
吐き始めるときに下腹部を感じて 「ちぢみ」とラベリング(名付け)します。
(下腹部が「縮まる」から「ちぢみ」です)
そして、息を吐ききったら今度は「ふくらみ」とラベリング(名付け)して息を吸っていきます。
ラベリングとは、行為への名前付けです(それによって意識にあげる)。
ひとつひとつの呼吸にたいして一度ずつ、このラベリングをしていきます。
ラベリングする意味は、意識している対象(呼吸)をより明らかに意識する、強化するためです。
ですので、ラベリングに注意を向けすぎる必要はありません。確認くらいの感覚です。
マントラのように呼吸のたびに「ちぢみ、ちぢみ、ちぢみ」「ふくらみ、ふくらみ、、」とする必要はありません。
一度の呼吸(吐く、吸う、それぞれ)に一度ずつです。
こうして最初のうちは呼吸を意識にあげ、集中し、丁寧に感じていきます。
そのうちに呼吸以外のものに注意が向いていることに気がつくでしょう。
耳から聞こえてくる音や、心に浮かんでくるイメージ、雑念、妄想といったものに気づくでしょう。
それに気づいたら、それらに対してもラベリングをしていきます。これをサティ(気づき)を入れるともいいます。
空調の音に気がついたら「音」とラベリングし、また呼吸に戻ってきます。
イメージが浮かんだら「イメージ」とラベリングし、呼吸にもどります。
雑念等も同様に、とにかく気づいたものすべてにラベリングをしていきます。
ラベリングは対象化するのにつける一時的なものなので、どういう名付けが適切なのか、深く考える必要はありません。(それほど個別具体的でなくてもいいということです)
音、雑念、イメージ、くらいのおおきな分け方でじゅうぶんです。
大事なことは、呼吸以外のものに気づき、ラベリングをしたらまた呼吸に戻ってくることです。
呼吸を集中の中心対象と決めることで呼吸以外のものに注意が向いてもそこからさまよい出ていくことなく呼吸に戻ってくることができます。
呼吸以外のものに気づいたら名付け(ラベリング)をし、その時点でそれを深追いせず、手放すことができるようになります。(ラベリングによる客体化により)
この呼吸の役割はたとえていうと港に停泊している船の錨(いかり)のようなものです。
船は錨をおろしておくことで沖に彷徨いでていくことを防いでいます。
それと同じように呼吸を集中の中心と決めておくことで呼吸以外に気が向いても、また中心にもどってくることができます。
心が彷徨い(さまよい)出ていくことを防ぎます。
実践していくとわかると思いますが起きていることすべてに気づいていくというのはなかなか忙しいものです。
瞑想といえば主に静かに座り静寂の中で(心も)するものというイメージがあるかと思いますが
このヴィパッサナー瞑想ではすべてのものに意識を向け、気づいていくことを繰り返します。
外静内動(がいせいないどう)といってもいいでしょう。
まずはこのやり方を続け、慣れていきます。
慣れてきたら、意識を身体の内側に向けます。
このときには下腹部に意識を向けることや、ちぢみ、ふくらみはしません。
身体すべてを意識する、集中する対象とします。
最初のうちは頭頂部からはじめて下に向かって、自分で自分をCTスキャンするように、輪切りにして感じて、観察していきます。
スキャンしている部位にたいしてラベリングし、意識していることを強化します。
これを繰り返します。
これにも慣れてきたら、CTスキャンもやめて、常に身体に気づいていきます。
呼吸による胸やお腹の動き、感覚に気が向いたらそれにラベリング。
指先や足に気が向いたらそれにラベリング。
常に身体のどこかに注意を向け意識上にあげ(ラベリングして)ていきます。
これを繰り返していくと、無常(常なるものは何もない)が感じられるようになっていきます。
たとえば、身体のどこかにかゆみや痛み、違和感を感じ、そこに注意を向けます。
しかし、それは(そこに向く注意は)ずっとは続きません。
常に身体のいたるところが意識にあがってきます。
すべてのものは常に刻一刻と変化していて、ひとつところにとどまるものはなにもない(無常)ことがだんだんとわかってきます。
さらに慣れてきたら、身体を感じるその部位を増やし、同時にいろんな部位を感じ、意識できるようにしていきます。
おおまかにいうと、説明した実践方法は三段階にわかれます。
慌てず、ひとつひとつの段階を丁寧に実践していくといいでしょう。(ひとつの段階に最低一ヶ月くらいはかけてもいいと思います)
私はだいたい一回の瞑想(30分ほど)の間にこの三つの段階を説明した順番にしています。
そこまでの時間をかけられない場合はご自分に合った、やりやすい段階を切り出して10〜15分ほど、自宅だけでなく仕事場の休憩時間や電車に乗っているときにやってみるといいでしょう。(座らなくてもできますので)
ハタヨガ(体操のヨガ)は瞑想のための身体作りですから、ヨガといってもポーズ(アーサナ)をとることだけではありません。
瞑想は立派なヨガです。