「1日3食をやめなさい!」を読んで
AmazonのKindle Unlimitedで、無料で読める作品を毎朝のお風呂で読むことが至福のひとときなワタクシ用の備忘録、振り返り、まとめです。
日本人はカロリーオーバーでありながら(食べすぎ)栄養が足りていない。
活性酸素は体内で食べ物を栄養素やエネルギーに変える際にどうしても生まれてしまう代謝物質。極端な話、呼吸しているだけでも生まれてしまうもの。そしてこれが細胞を傷つけることで老化を招くとされている。
活性酸素そのものは悪ではなく、生体維持や感染防御などの役割もある。(過剰なのが問題)
活性酸素が過剰に発生する原因は
・食べすぎ
・過度の運動
・喫煙やアルコールの摂取
健康を保つためには消化・吸収にかける労力を必要最低限に抑えること。(必要最低限だけを食べること)
飽食をするようになって以降、あらたにあらわれはじめたのが生活習慣病、アレルギー、ガンなどの現代病。
フォイト栄養学のフォイトには食肉産業のパトロンがついていた。また軍部も擁護者であった。そしてこれをそのまま導入したのが明治期の日本。
野菜のビタミン含有量は30年前の20〜50%にまで落ち込んでいる。
1950年代を境にして、ガン、心臓病、脳疾患で死ぬ日本人が急増した。(生活習慣病)その原因は食生活が欧米化したことと、いつでもお腹いっぱい食べられるようになったこと。
口から入った食べ物は胃や小腸で分解され、消化・吸収されたあとの残滓が大腸に送られる。大腸はその残滓が体外に出ていくように便を作る。
免疫細胞のひとつであるリンパ球は小腸に集まっているが、これがきちんと作動するかは大腸の腸内環境にかかっている。
脳梗塞、心筋梗塞と血圧は関係ない。むしろ血圧を下げすぎると心筋梗塞のリスクが高まるという研究報告もある。むしろ血圧が少し高めのほうがガンや感染症の罹患率、死亡率が低いというデータもある。
動脈硬化の本当の原因は糖質。ここで言う動脈硬化とはいわゆる血液がドロドロで動脈が詰まりやすい状態。(粥状動脈硬化=じゅくじょうどうみゃくこうか)
コレステロールそのものに罪はないが、糖とコレステロールが結びつくのが問題。コレステロールは本来であれば栄養素の運搬係として血管内をスムーズに流れる必要がある。しかし、糖はコレステロールにまとわりつき、接着剤のようにコレステロールと一緒にベタベタと血管壁にはりつく。
AGEsは細胞を傷つけ、感染症やガン、アレルギーに罹患しやすくなる。
糖はウイルス、ガン細胞の大好物。
糖質にはとっていい糖質と悪い糖質がある。いい糖質は間接糖(ホールフードで摂る場合の糖)。悪い糖質は直接糖で、白米や精白糖、精白小麦などの精製されたもの。
直接糖は血糖値を急上昇させる。(グルコーススパイク)すると膵臓ではインスリンがどんどん分泌される。(インスリンスパイク)インスリンスパイクが起きると急激にあがった血糖値が今度は急激に下がるという「血糖値の乱高下」を引き起こす。これがいけない。血糖値が急激に下がると今度は低血糖(糖が足りない状態)ますます脳が糖質を求めるようになってしまう。さらに、こうして日常的にインスリンが分泌されるようになるとインスリン抵抗性をもつようになる。(この行き着く先が2型糖尿病)
人間の身体には糖質を使わずにエネルギーを作り出す機能がある。ひとつは肝臓による「糖新生」で、乳酸、アミノ酸、グリセロールからグルコースが作られる。もうひとつは肝臓が中性脂肪を脂肪酸に分解し、さらにケトン体まで分解するという機能。
砂糖(精白糖)はこの世でもっとも古い歴史のある覚醒剤。よく甘いものを食べると幸せになるというが、これは脳がラリっているようなもの。白い炭水化物も同じで白米、ラーメン、パスタによって得られる糖質で得られる多幸感を脳が求めている。
糖質もまた活性酸素を過剰発生させる一因。
少食になると身体に入ってくる毒も減る。まず毒を出すかを考えるよりも、入ってくる毒を減らすこと。
体は朝一番に食べ物を受け入れるようにはできていない。むしろ体は空腹を感じた時にもっとも活動に適した状態になる。そもそも空腹感とは「今すぐ食べ物をくれ」というサインではなく「エネルギー充填完了」、つまり「活動する準備が整いました」というサインである。
日本で一日三食が広まったのは江戸中期から後期で、世の中が安定して庶民が豊かになった頃。それも一部の富裕層のみといわれている。つまり、たかだか400年。
健康を求めるほど不健康になる、健康オタクが一番不健康なことばある。上辺だけの知識ばかり集め、本質が見えていないことが多い。人の体は千差万別であり、食べ物との相性も人それぞれ。これさえ食べれば誰もが元気、長生きできる絶対の食べ物など存在しない。
大事なのは何を食べないか。体に入れてはいけない毒とはひと言でいえば不自然なもの、昔はなかったもの。この考え方に基づけば「何を食べるべきではないか」がはっきりする。
安価に大量に、そして短時間で提供するには(ファストフードや安価なチェーン店の飲食店)提供するものが腐らないように大量の防腐剤を添加することになる。
原価を下げるためにクズ同然の安い材料を使い、その品質をごまかすために大量のうまみ調味料や人工甘味料といった食品添加物を使うことになる。
「いつでもすぐに食べられて、しかも安価な食べ物」は毒まみれの偽物で埋め尽くされたものである。
こうした毒は脂溶性なので体内で代謝されることなく、かといって自然に排泄されることもなく体内に蓄積していく。
自然界に存在しない毒は体はどうしていいかわからないので、活用もせず排除もせず、それが体を蝕むことも知らぬまま溜め込んでいってしまう。
一説には、とくに意識していない人は一日に80種類以上もの食品添加物を食べているといわれる。
スクラロースの1/4強は有機塩素化合物。要するに塩素。塩素といえば殺菌などに使われる毒。(戦争では毒ガスとして使われていた)食品添加物は意図的にデトックスをしない限り体内にたまり続ける。(代謝されず、排出もされない)
血圧は歳をとったらある程度あがるのが当たり前で、むしろ上がらなければいけない。
血管が固くなると血流が滞りがちになる。そこで全身に行き渡らせるためには圧を強めて勢いよく血液を流さなくてはならない。だから歳を取ると血圧はあがって当然。それなのに血圧降下剤で無理やり血圧をさげると血液が流れにくくなり、末端まで届かなくなってしまう。
血圧降下剤などの薬を飲む人が増えるほど潤う人たちがおり、その人たちはこの世界で強大な力をもっている。すなわち製薬会社を含めた医療界。血圧にもコレステロールにも「これ以上になったら要治療」という値があるが、これは彼らが薬を売るために不当に設けた基準である。であるからして、この基準値に従う理由はない。
本当に正しい食生活をしている際の血圧、コレステロール値こそが「自分にとっての」正常値である。人の体は千差万別なのだから、外から決められた基準値に振り回される必要はない。
日本の野菜の農薬使用量は世界トップレベル。日本でもっともよく使われている農薬はグリホサート系、ネオニコチノイド系、有機リン系の三種類。グリホサート系は草が育つのに必要なアミノ酸の生成をとめて枯らせる。(雑草対策)ネオニコチノイド系は脳に作用してセイン系を興奮させ続けることで虫を殺す農薬。有機リン系は神経系、呼吸器系に作用して虫を殺す。(同じ分類にはサリンがある)
どんなに強い農薬をどれだけ大量にまいても使う回数さえ減らせば「減農薬」と表示できる。
F1種とはF1雄性不稔種のこと。(雄性不稔とは、染色体異常で不妊症になっている株ということ)
雑草を取り除くために除草剤をまきたいが、作物まで枯れてしまうのは困る。そこで遺伝子操作を加えて除草剤への耐性をつけた品種(遺伝子組み換え作物)を植えれば、除草剤をぐいぐいまいて雑草を排除できる一方、育てたい作物は無傷という都合のよい状況が生まれる。
動物実験で遺伝子組み換え作物を餌として与えたところ、生殖関連の障害が発生したという報告から、近年世界的に見られる不妊症の増加は遺伝子組み換え作物(食品)の普及が関係しているのではないかとするデータも多数存在する。
製造の過程で組み替えられた遺伝子やその遺伝子が作るタンパク質が検出できない場合は表示義務がない。醤油や植物油などは製造過程での検出が技術的に困難なので、たとえ使われていても表示を免れる。
表示しなければならないのは遺伝子組み換え食品の重量が原材料のなかで「上位三位以内、かつ5%以上」であった場合のみ。浸かっていてもこれ以下であれば表示しなくてよい。また、「意図せざる混入」が「5%」以内であれば「遺伝子組み換えでない」と表示していいことになっている。
遺伝子組み換え食物の一番の問題は、多くは畜産の餌に使われているということ。その毒性は生体濃縮され、食用肉にたまりこんでいる。
動物は必ず断乳をする。人間だけがいつまでも、しかも他の動物の血液から作られる乳を飲んでいる。そもそも牛乳とは子牛を大きくするためのもの。
カゼイン(牛乳などに含まれる)は発がん促進物質。戦前の日本では稀だったガンは戦後に急激に増えた。GHQの政策で日本に牛乳がどんどん輸入され、牛乳を飲む週間が広まったことは無関係ではないだろう。
牛乳を飲むとむしろ骨は弱くなる。牛乳に含まれる乳糖は体内でラクターゼという酵素によって分解されるが、日本人を含むアジア人は離乳期をすぎるとラクターゼが分泌されなくなる。
牛乳に含まれるリンは体内のカルシウムと結びついて体外に排泄されてしまう。
塩のパッケージに「塩化ナトリウム」とあったら、それは不自然に精製されたニセモノの塩。
人間の血液成分は海水と似ている。
カンジダ菌は通常は体内に定着しない菌。ところが食品添加物、農薬、薬などの化学物質や糖質をとりすぎて腸内環境が悪化すると次第に腸壁に棲みつくようになる。
トランス脂肪酸は不飽和脂肪酸(植物油)を加熱させ(この段階で酸化)水分を蒸発させて脂肪酸を凝固させたあとに水素分子を加えたもの。(水素によって二重結合をうめ、飽和状態にする)食品業界では保存性が高いとしてトランス脂肪酸は重宝され、スナック菓子やスイーツなどに多用されている。
酸化した食べ物はなんでも体内で炎症を起こす。一般にサラダ油と呼ばれるものはノルマルヘキサンという劇薬で抽出、加熱処理されている。それに酸化防止剤などの添加物が加えられたのが一般的なサラダ油で、酸化防止剤にはBHTやBHAといった欧米で発がん物質として禁止されているものが日本では使われている。また、サラダ油の原料になる菜種、大豆、トウモロコシなどは遺伝子組み換えである可能性が高い。
現代の毒は脂肪にたまる。多くが石油性製品であり「脂溶性毒」、つまり油に溶けるものばかり。脂溶性毒は体内に入ると脂肪に溶け込み、どんどん蓄積される。脂溶性毒が恐ろしいのは脳までおかしくしてしまうこと。脳はほとんどが脂肪なので脂溶性毒の害をもろに受けてしまう。
脂肪にたまった毒を解毒するにはデトックスなどをして脂肪を入れ替える他ない。
脂溶性毒を排毒するには発汗が効果的。強力なのは低温サウナだが、熱すぎない温度のお風呂にゆったり長時間入る半身浴なども効果的。ただし、入浴の場合は排毒が進んでも、今度は水道水に入っている塩素等が経皮吸収されるので、その点にも注意する必要がある。
脂肪にたまった毒を抜くには時間をかけてじんわりと汗をかくのがもっとも効果的。(断食も)
解毒法の中には水(水分ではなく)をたくさんとって尿を出すという方法もあるが、これは腎臓を酷使することになり、腎臓本来の解毒機能が損なわれてしまう危険もあることに注意。
柑橘類のビタミンは有害物質を中和してくれることが科学的にも実証されている。
<解毒作用のある食物>
玄米(イノシトール、ガンマオリザノールは肝臓の働きを強め、放射性物質の中和、解毒に効果的)
梅干し(クエン酸が化学物質、放射性物質の解毒に効果的)
たくあん・ぬか漬け(乳酸菌によって腸内細菌の働きを高める)
納豆(納豆菌が腸内細菌の働きを高める)
根菜・ねぎ(硫黄を含み、放射性物質の解毒に効果的)
海藻(10センチ角の昆布一枚で被爆を防ぐのに服用されるヨウ素剤1錠分に匹敵)
食物繊維は胃や小腸で消化、吸収されずに大腸まで届く。これが重要。食物繊維が大腸の中にある老廃物や有害物質を吸着し、便と一緒になって排泄されるから。
皮膚から吸収してしまう毒を経皮毒という。
運動のしすぎは食べすぎと同様に活性酸素が過剰に生成される。
古代の狩猟民の一日の労働時間は4時間程度だったという研究結果もある。
長崎原爆でみずからも被爆しながら被爆者の治療にあたった秋月辰一郎氏いわく「塩は造血細胞に賦活力を与える。砂糖は造血細胞には毒となり、血液を破壊する。だから砂糖は絶対にいかん。玄米に塩をつけて握り、からい味噌汁を飲むんだ」と。
白い小麦製品(精白された)は全般的に避けて間違いはない。摂る場合は全粒で作られた茶色いものを選ぶこと。ただ、小麦には米と反対に体を冷やす作用がある。
砂糖を使うことを除けば和食は良い健康食だといえる。
発酵食品は腸内環境の向上に絶大な効果がある。大豆にはフィチン酸という植物毒(ミネラルなどの吸収を阻害、排出を促す)があるが納豆や味噌になるとこれは消滅する。
オーガニックや有機農法とうたっていても、化学肥料ではない有機肥料を使っているというだけで無農薬とは限らない。
水素化油脂や植物性油脂とあったらそれはトランス脂肪酸のこと。
熱で酸化した油は体内で炎症を起こす。良質な植物油はドレッシングとしてなど、低温のまま摂ることで健康に寄与する油になる。とくにオメガ6, オメガ3系の油は熱に弱いので注意。
植物油はほとんどが不飽和脂肪酸だがココナツオイルは植物油としてはめずらしく飽和脂肪酸が多いので加熱調理に使える。
ムコ多糖類は積極的に摂ったほうがいい糖。他の栄養素と一緒に摂れる間接糖の形であれば(ホールフードとして)多すぎなければ問題ない。(ムコとはネバネバといった意味)効果としては免疫力アップ、血糖値の調整、新陳代謝の促進、骨の形成促進、細胞への栄養供給の強化など。
ムコ多糖類は野菜であればオクラ、納豆、山芋などのネバネバ食品に多く含まれている。(玄米、豆類にも)
以上、基本的に自分に向けた振り返り、備忘録的なものなのでテキストばっかりでブログ記事としては読みにくいかもしれませんが、本書の大事なところはけっこう書き残しているので参考にはなるかと。(本書はKindle Unlimited会員であれば無料で読めます)
kindle Unlimitedではふだんなら書店で手に取らないような(また、Amazonで購入しないような)ものを意識して選ぶようにしてますが(ランダムネスを招じ入れることによる「ふだんなら起きないなにか」を期待して)こうしたリアルの出版が追いついていない(登場して間がない、変化が早すぎる等)分野の情報を追うのにもいいですね。(出版のハードルが低いため、質が玉石混交というのはありますが)
また、類書(玉石混交はいい意味でも)も引きやすいので、大量に関連情報にあたりたいときは本当に助かります。(ジャンルもそのときどきの自分次第ですが、それにも十分にこたえてくれるので)
無料のお試し期間(30日)もあるので(解約もかんたん)、まだ利用したことのない方はこの機会にぜひ、利用してみるといいと思います。Kindle端末なくても利用できますしね。(パソコンがあればWebブラウザで。また、スマートフォンを持っていればiPhoneやAndroidのKindleアプリで)
とはいえ、個人的にはやっぱりKindle端末(私はPaperwhiteを愛用)がおすすめです。
習慣によると思いますが、私は毎朝のジョギング後に入るお風呂で(1時間くらいじっくりと)kindle読書をするのが至福の時間で、入浴(デトックス、心身のリラックスにも有益)にkindle読書をからめることで同じ時間がすばらしく有益に過ごせて最高です。(最近のkindle端末は防水仕様)
老化は病であり治療できる〜LIFESAPN 老いなき世界

『LIFESPAN 老いなき世界』を読みました。
なかなか衝撃的な書で、とくに「老化」は当たり前(受け入れざるを得ない)のものではなく「病」であり、それも「治療できる」ものであるとする主張(そしてその根拠)には「そういう考え方もあるのか」と目からウロコ。
ただし、前半においてであり、後半は正直なところ(あくまでも個人的、私見ですが)諸手を挙げて肯定はできないかなという感想です。
前半では体に適切な(ときに過酷な)負荷をかけることで(少食や断食、運動など)サーチュインなどの長寿遺伝子、若返り遺伝子が発現することや、オートファジー(自食作用)の有効性を説いているのに
後半の科学、医学への妄信や信仰に近い姿勢から導かれる短絡的な(これもまた私見ですが)未来への展望はある意味グロテスクであり、少なくとも私は望まない未来だなと。
そもそも、食べる(飲む)ものの内容や、過剰な薬物依存、有毒素を避ける、食べる量など、生活習慣病に代表される現代病(ざっくりですが)の根本原因をまず取り除くことが先であるはずなのに(原因ですから)、それら(避けるべきもの、悪しき食習慣、悪しき生活習慣)はあって当然という前提なのは受け入れがたいです。
著者の主張どおりに老化が受け入れざるを得ない当然のものではないというのと同じように。
まぁ、科学者でもあり、そして起業家でもあるのでそのスタンス、ポジショントークは当然といえば当然なんでしょうけれど。
とはいえ、ただの寿命、延命こそが求められるべきものではなく、あくまでも健康寿命をのばすことが重要なんだという点には納得です。(昔に比べ寿命ははるかにのびていても、健康で幸福な生活が送れる人生がのびているわけではない現実があるので)
個人的にはこっちのほうがはるかに賛同できます。(自分の経験則、体験からも)
ルイジ・コルナロはルネサンス期の人ですが(当時はまだ画家、芸術家の地位が相応に認められなかったこともあり、ダヴィンチやミケランジェロよりも知られた存在だったとか)この時代ですでに健康寿命を得る、のばすための真理(のようなもの)を体得していたんですね。
お釈迦様が量子論や相対性理論といった現代物理学に通じる考えを会得していたように。
自分の体にとって、自分自身のほか、いかなる名医もあり得ない。人の体質はそれぞれ違っているので、自分でなんども試行錯誤を経験することなくしては、自分の体質を見極めたり、自分に合った食べ物を選択したりすることなどできない。(本書より引用)
これについても(万人に通じるものはない)最近明らかになってきている遺伝子の発現型(自分が受け継いだ遺伝子だけでなく、生活習慣等による後成的な因子によって変化する)なんかにも通じると思います。
やはり古典はすごい。
無病法はKindle Unlimited会員なら無料で読めます。
他にも極少食や断食、オートファジーに関する参考書籍はたくさんあるんですが(これらもほぼKindle Unlimited対象)また機会をあらためて紹介できればと思います。
止められるものなら、やってみるがいい〜マリア・シャラポワ自伝

彼女については
かわいいなぁ(もっと若いころね) きれいだなぁ(おとなに、成熟してきてからね) すごく強いらしい(もちろんテニスが) エキセントリックな叫び声をあげるらしい
くらいしか知らなかったんです。
テニスについて(スポーツとしての)もとくに興味はないし。
世代的にTVアニメで『エースをねらえ!』にははまりまくりましたが。
去年引退したこと、この自伝についてはセンセイのブログで知って、なんとなく気になりつつ(わりと頻出したので)ついに読了。
超絶面白かったです。(なんと貧困な表現、語彙)
マスクという名のおしゃれな(いや、醜悪だ)雑巾をしたり

手指の過剰な消毒で大事な大事な皮膚常在菌たちを殺戮しまくってる暇があったら読むといいでしょう。
その(無駄、自己破壊的な清潔、健康を求める行為)何億倍も心と身体に有益で栄養と活力の源になるから。(とはいえ、観測者次第ではある。エントロピーがそうであるように)
その文体、己の半生近くを振り返る姿勢はとても繊細できめ細かい内省の様子(幼少時から)がまるで求道者(きゅうどうしゃ)のようで類を見ないユニークさ。(面白いではなく、一意という意味で)
敗北はつらい。とても苦しい。でも敗北は最高のものでもある。勝利への準備をさせてくれるからだ。
もっとくだけてハードボイルド、非情といってもいいほどに。(恋心でさえも相応に夢中にはなり、ときめきながらもメタ視点を失わず冷静な自己観察をしていたり)

早熟というよりも、早くからの老成というか達観というか。(父を主に「ユーリ」と第三者的視点で語ることからも)
教師のひとりがわたしと打ち合うことになった。そう、そんなことになったのだ。真夜中みたいに感じられる時間にセンターコートに出て、ボールを追って相手を叩きのめす。ビジネスマンたちが見物し、蚊がブンブン飛ぶ中で。 一種の見世物だった。あとになってそれがわかった。見物していたのはアカデミーに金をそそぎ込むことを検討していた投資家たちで、彼らは商品をちょっと見たかったのだった。 別の言い方をすれば、ニックは所有者で、わたしは商品というわけだ。または、勝利が商品で、わたしは勝利を量産する機械だったということ。
テニスに対する姿勢はまさに「肉体の式神化」。
本書の執筆時、あらためて当時の関係者を訪れて肉声を拾っていってるのも臨場感高く、厚みを増すのに大変役立っています。(それを差し込むタイミング、度合いもセンスがいい)
とにかく、自分自身でも認めている特質、最高の資質である「集中力・精神力(負けず嫌い)・勝利への貪欲な姿勢、渇望」が彼女の偉大なキャリアのの究極の土台になったことは間違いない。(それを幼少時から自覚していたことも同様に)
とくに集中力に関しては(試合時だけでなく)集中しすぎて飲食(水分、カロリー補給)を忘れ、血糖値の急低下からの脱水症状も珍しくなかった(リスク、デメリットともいえるけれど)とか。
経験から教えられた。この世界には完璧な正義などないことを。人の口に戸は立てられないし、自分をこのように思ってほしいと相手をコントロールすることもできない。不運に対して備えることもできない。できるのは必死に頑張り、ベストを尽くし、真実を語ることだけだ。結局、大事なのは努力なのだ。ほかのことは自分の力ではどうにもならない。(理不尽なドーピング疑惑の長いトラブルを超えて)
上手というか、流暢な文体では決してないけれど、故にゴツゴツとした引っかかる(心、琴線に)感触があり、刺さってくるものがある。
今(例の感染症騒ぎに翻弄され、多数の命まで失っている)我々に必要なのは、効果も根拠もない過剰で無意味な(そして害悪な)対応ではなく、こうした偉大で「クレイジー」な人たちの物語だ。
目を覚まそう。(いや、望むなら、つむったまま、寝たままでもいいけれど、少なくとも俺にそっちの理を「マナー」や「エチケット」といったポリティカル・コレクトネスのような醜悪なオブラートに包んだものを強要するな。さらに悪いことに、善きこと、正しいことをなしている体でもって)
こんなことが起こる前、わたしが考えていたのはゴールだけだった。どんなふうにキャリアを終わらせるか、どんなふうに幕引きをするかということだけだったのだ。でも、今はもうそんなことを考えていない。テニスをすることだけを考えている。できるだけ長く。できるだけ激しく。ネットが取り払われるまで。ラケットが焼き尽くされるまで。わたしが止められてしまう日まで。止められるものなら、やってみるがいい。
自分で調べず、考えず、メディアやシステム、権威に盲従するのが大好きな人にはこれなら納得できるのか?
得意文句の「〜が言ってたから」ってことで。
以下は厚生労働省が公開(明言)しているPDF(新型コロナウイルスを防ぐには 2020.02.17)より


悪とは、システムを無批判に受け入れることである〜五分後の世界

相変わらずマスクの大流行(例の感染症よりずっとずっと)が続いてます。

でも、変だなぁと思うのは、行きつけの場所(コンビニやカフェ等)に「マスク着用」の指示が示されてはいるのだけれど、していないでも注意や排除をされないこと。(ビッ○カメラみたいに強制、マスクを買わせようとするところもあるけれど)
本当はみんな知ってて(する必要がないと)、でも仕方なく(「そんたく」っていうんでしたっけ?)なにかに従って形だけつくろってるだけなのかなと。

そんなふうに好意的に(上から目線です)とらえようかなと思ってたらそんなことは全然なくて、やっぱり自分の頭を使わない(調べない、考えない)で権威(ただのラベルなのに)や多数にあわせてるだけの害悪な脳足りんばっかりだなと痛感した出来事が今朝ありました。
とある宅配便(黒猫)の窓口に行ったところ(意図せず、普段どおりにマスクなしで)受付係の女性がなんかへんな態度だなぁと。
ちょっと汚いものでも見るような態度で(いや、本当に)
「次からはマスクしてきてくださいね」
え?
「次からはマスクしてきてくださいね」
大事なことだから(彼女にとって)二回言ったようですが、その態度(汚いものを前にしたような)と、なんの権利もない要請に衝撃を受け、数秒頭が真っ白になりました。

その女性はマスクをしている。
我々の間には例の透明の板が降りている。
私は咳こんでもいないし、くしゃみもしていないし、大口を開けて発話もしていないのに。

はじめて神様の気持ちがわかりました。
こいつら全員洪水で流しさりたいと。

そのあと、今読んでいる小説(村上龍さんの『五分後の世界』)で刺さった、主人公のつぶやきです。(ちょっと長い引用ですが)
オレがもといたところはみんなひどいおせっかいで、とんでもねえお喋りなんだ、駅で電車を待っていると、電車に近づくな、危ないから、なんて放送があるんだぜ、電車とホームの間が広くあいてるから気を付けろっていう放送もある、窓から手や顔を出すなってことも言われる、放っといてくれっていってもだめなんだ、自分のことは自分で決めて自分でやろうとすると、よってたかって文句を言われる、みんなの共通の目的は金しかねえが、誰も何を買えばいいのか知らねえのさ、だからみんなが買うものを買う、みんなが欲しがるものを欲しがる、大人達がそうだから子供や若い連中は半分以上気が狂っちまってるんだよ、いつも吐き気がしてあたり前の世の中なのに、吐くな、自分の腹に戻せって言われるんだから、頭がおかしくなるのが普通なんだよ

悪とは、システムを無批判に受け入れることである(ハンナ・アーレント)

制限があるからこそ、この世界は味わうに足るものなのだから〜やばいデジタル

『やばいデジタル』。
タイトルはそのまんま、俗っぽくて軽い感じがしますが内容はけっこうしっかりしていて好著です。
NHKスペシャルというテレビ番組があって、そのときの取材内容を活字にしたもののようです。
内容はもう帯にあるとおりで「フェイクの横行、プライバシーは丸裸」「あなたが “本物(リアル)” ではなくなる未来」。
フェイクといってもいろいろあって、もはや動画も簡単にフェイクが作れてしまうとか。(ディープフェイク、フェイクポルノといった)
マーク・ザッカーバーグも標的にされて、彼の実際の動画をAIを使って編集して、言ってもいない(マイナスイメージの)セリフをしゃべらせて、それが拡散したとか。

フェイクポルノに至っては本当におそろしい。(これも至極簡単に作れるそうで、それを請け負う市場もあるらしい)
一般の人でも、それを作られて「100万円振り込まなかったらSNSで拡散する」と脅されたら、と考えると。(もうハニートラップも痴漢にかこつけたそのへんも不要になるかも)
フェイクポルノの制作者にしたインタビューへの回答がまたぞっとします。
将来はAI技術を使って、人の役に立つ仕事をしたい
と語りつつ、ドラマの主演女優やアイドルがアダルトビデオに出演しているかのように見える精巧な動画を作り、サイトに掲載して広告収入を得ている。(それはそれで人の役に勃つのではあるだろうけれど)
取材者に「後ろめたさはないのか」と聞かれると
まあ単純にその、僕もフリーランスエンジニアでまだ自分のその事業が軌道に乗ってるわけじゃないので収入源になるかもしれない事にもう片っ端から手を出してるっていう、これはそのひとつってだけなので、ビジネスだと割り切っています

政治にからんだところでは、フェイクと印象操作は違うという主張もあったりして、その定義というか線引きは難しいところもあるのかなと。(スピーカーが見栄えをよくして話術を磨き、話す内容に説得力を持たせることなんかは当たり前で、これも印象操作といえばそうだし)

メキシコではもうフェイクなしでは選挙に勝てないとか。(おれは「フェイク王になる」と熱く語り、実際そうなっている人も)

また、デジタルツインなるものも紹介されていて、これは例えばGoogleの利用履歴によって「もうひとりのあなた」をデジタル空間に作り出し、その人物像(リアルの)を解析することも可能だとか。

実際、被験者をつのって協力してもらい、かなりの精度で本人の実像に迫った結果には本人もびっくり。(住所、仕事、収入や貯金、配偶者の有無や浮気性かなんてことまで)
びっくりしつつも、このことからプライバシーについて慎重になるつもりはないようで以下のように答えています。
インターネットは、インフラに近いと思うんです。例えば水道から水が出るとか、電気がつくっていうことと、同じレベルだと思います。僕は、子どもの頃からインターネットが身近にあった世代なので、あんまりネットに対する恐怖心がないっていうのもあるかもしれないですけど。怖さよりも便利さの方が勝ります
なるほど。(してやったり)
これもまた「ニューノーマル」の一面なのかも。(バカにして言ってます)


もう私や私に近い世代が思い、感じている「プライバシー」という概念は古いのかもしれない。
実際、これも本書で紹介されていますが、いわゆるZ世代(1990年代後半〜2000年代生まれ)はプライバシーについてとくに心配もせずスマートフォン、インターネットを使って(信頼して)いる割合が高いと。
世界ともっと繋がっていたい。そうでないと、いろんなことから疎外されてしまう。
その繋がりとはどんな繋がりなんでしょう。
もちろん、私もその利便性を手放すことはできないし、ラッダイト運動のようなことを主張するつもりはありませんが、技術にヒト(とくに法整備)が追いついていっていないことは明らかで、それが様々な問題にもなっている。
せめて、そういったことを頭のどこかに置いて、意識して使わないとなぁと思ったのでありました。
そもそも、便利ってそんなに最高、善、いいものでしょうか。(ベンサムの功利主義、快楽が多いほど善い)
不便だからこそ味わえる豊かさはいたるところにあります。(そうしたものが何も浮かばない人は、これからそれがひとつでも見つかるまで探してみるといいでしょう)
制限があるからこそ、この世界は味わうに足るものなのだから。

その存在が、思考が、行動が「芸術」〜独立国家のつくりかた

『自分の薬をつくる』の 坂口 恭平 さんの著書。
本書もひっじょーにユニーク、
おもしろかったです。
これまで ほとんど使っていなかった頭、
感性をガクガクとゆさぶられました。

坂口さんは アーユルヴェーダ の ドーシャ でいうと
Vata(ヴァータ)がとても強い印象。
(ヴァータは風とか、動とか)
とにかく行動が(発想、思考も)縦横無尽、
ミル・マスカラスの空中殺法 的な。

つねに考え(疑問をもち、問いにして)
考えて、考えて、そして着実に行動にむすびつける。
そのフィードバックも大切にして、そこからまた
あたらしい行動に発展させていく。
Twitter での発信をみると、いまもいろいろと
(縦横無尽に 空中殺法)活動しているようで
「宇宙人か?」
と思ってしまいます。
(元祖?宇宙人といえば、ジョン・フォン・ノイマン)

これまた『自分の薬をつくる』同様に、
言語化がむずかしいんですが
彼の内部表現(世界)の重層性というか、
レイヤー構造の多様性、多層性が
複雑に(そして豊かに)からみあって
独特の生態系(思考の)を生んでいるような感覚。

(この時点では、躁うつ病は完治したとのことでしたが、その後また再発を繰り返しているようです)
ひとことでいえば、
彼は その存在が、思考が、行動が「芸術」です。

こちらも ひっじょーにおもしろいです!!
狂気はブラックホールのように人を惹き込む〜ヴァージン − 僕は世界を変えていく

気功を実践するにあたって
大切なことはいくつかあるけれど
“ ここでいう気功とは
「共感覚による内部表現の書き換え ”
深い “変性意識状態” と “臨場感” を高めることが
とりわけ 重要 だということは
君も知っての通りだね、オールド・スポート。

最近 あらためて思うのだけれども
このふたつを得るのに 読書というのは
本当に役に立ってくれるね。
読書に限らず 絵画や舞踊、映画のような
総合芸術を鑑賞することでもいいのだけれど
読書はとりわけコスパが高いと思うんだよ。
あ、もちろん、稀覯本とか
高度な専門書といった高価なものはあるにしても
だよ。
(とはいえ、
必要なひとには適正価格なわけだけれども)
好奇心旺盛で 読書家の君は
とっくに読んだかもしれないけれど
去年 僕が読んだ『ヴァージン』。
これが超絶面白くて
こうしてつい 君に筆をとってしまったわけさ。
そう。
あのヴァージン・グループの総帥
(というか会長か)である
リチャード・ブランソン の自伝だね。
名前と(爵位「Sir」も授与されたとか)
影響力のすごさみたいなことは なんとなく
見聞きしていたけれど、
この 本人が書いた
「あまりにも赤裸々な」
自伝は リチャードのことだけではなく
彼とその周辺、そこから広がる世界までも
顕(あらわ)に、これまた赤裸々に、そう、
臨場感 をたかめて 体験させてくれる。
(擬似的なもの であっても脳内では同じだしね)
恥ずかしながら、ここでもあらためて
個々といった存在はなく、関係性が存在を生じさせる
っていうゴータマのあれを思い出したよ。

さらに 恥ずかしながら なんだけれども
読むのに すごく時間がかかってしまってね
オールド・スポート。
いや、リチャードが がんばりすぎちゃっててね
とにかく分厚いんだよ。
(測ったら4.5センチメートルあったよ)

やれやれ。
ま、そんな「やれやれ」も ありがたいこと
ではあるんだけれどね。
なにせ「超絶」面白いから。
( Instagramで リチャードが 回転寿司になってるのを見つけたよ)
そもそもディスレクシア
(難読症、読み書き障害とかいわれる
やつだね。トム・クルーズもそうらしいね)
で 人生の早いうちからかなりのハンディを
負っていたにもかかわらず、逆にそれを
生かしてというか、ものともせずに 次々と
痛快な(ときに危険な)行動と とんでもない結果に
結びつけていく リスク・オリエンティッドな 生き方は
はたからみると「狂ってる」んだけど
だからこそ強烈な重力、牽引力を引き起こし
そこに引きずり込まれるようだよ。
そう、
この本を読んでいるだけで 彼の生きてきた
超がつくほどの貴重な体験を追体験できるわけさ。
(深い変性意識状態、そして臨場感)
まぁ、誰もが
等しく そうした体験になるわけではないけれど
(それはそうだ、読み手がどんな生き方、
どんな考え方で 生きてきたかによって 受け皿の
大小、形は違うからね)
大なり小なり、リチャードのやってきたこと
(そしてそれが周囲に、世界に、そして宇宙に)
にガツンと やられることは間違いないんじゃないかな。
どうだろう、オールド・スポート。
こんど君の感想も聞いてみたいね。
あ、あと一冊。
狂ってるつながりで
武田真治さん の自伝にも
触れたかったんだけれども、
もう 余白が足りないのでまた次の機会に。

















