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“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

遅めの専門特化のすすめ〜RANGE – 知識の「幅」が最強の武器になる

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ゴルフのタイガー・ウッズ
チェロ奏者のヨーヨー・マなどなど、

早くから専門に特化して学ぶことが
重要だというのは「1万時間の法則」や
「グリット」なんかで力説されるところ。

でも、本当にそうなのだろうか?

という疑問からはじまった
『RANGE』の著者の旅。

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もちろん、
早期教育の効果を否定するものではなく、

しかし、
なんでもかんでもそれでいいのかと。
反証可能性みたいなものでしょうか)

早期教育の効果にたいする
過大な評価に警鐘を鳴らしつつ

「遅めの専門特化」を探ることの
価値や重要性を様々な事例から説得力をもって説いています。

早いうちからの経験の積み重ねが
専門的な能力につながるかどうかは
その「領域」によると。
(これは行動経済学ダニエル・カーネマンも言及してますね)

1 万時間の法則が通じる領域と
通じない領域があると。

通じる領域(分野)というのは
「親切な学習環境」であること。

これが前提。

具体的には

  • 明確なルールがある

  • 経験をパターン化できる

  • ただちに正確なフィードバックが得られる

これらの条件が満たされているのが
親切な学習環境であり、

たとえばゴルフやサッカー、
テニスといったスポーツがそう。

チェスや将棋、囲碁なんかも。

反対に「意地悪な学習環境」
(前述の条件を満たさない)では、

行き過ぎた専門特化を目指すことは害というか
残念な結果になることが多いと。
(マッチクオリティを考慮する必要がある。ひらたくいうと「相性」が重要で、それをみるには相応の時間や体験が必要ということ)

別の本ですが、
Dr. コリン・キャンベルの
『WHOLE』で言われる

リダクショニズム(細分化主義)

を思い出します。

金槌(かなづち)を持つと
すべてが釘に見える。
(細分化、専門化の弊害)

それ(専門化)に対して
多くの文脈で学ぶほど
学習者は抽象的なモデルを
より多く構築するということを
多くの事例で示してくれていて、とても興味深い。
(帯の文はちょっと煽りすぎ)

マーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯(ちゅうたい)の強み」なんかも思い出します。

この『 天才はディープ・プラクティスと1万時間の法則でつくられる 』とあわせて読むと、

どちらか一方に偏らず、
自分で止揚して、より高い視点で
ゲシュタルトを持てて良いかと思います。

例の感染症騒ぎについても
思うところが多々ありました。

とくに「専門家」が
どれだけ恣意的にふるまうか。

そしてそれを
ありがたい御札(おふだ)のように
大衆が唯々諾々(いいだくだく)と
受け入れているかということについて。

そうそう、
スキルの習得や上達(熟達)といえば
こちらの書籍もはずせません。

回り道の大切さ
(というか、偉人たちのたどった道が「線形=直線的」であることはまずないってこと)といえばこちらも超オススメ。