天国はつまらない
個人セッションのクライアントさんによくモーニングページをすすめています。
差し支えのない範囲で(了承いただいて)そのフィードバックを紹介します。
モーニングページで「自分さえ良ければ」「楽して暮らす」みたいな思いがでてきました。
極論…そこなのか!?と。
わかってはいるけど、そうだよね。私😅閉まってたけど、言っちゃいけない。恥ずかしいと…
いや、ほんとお恥ずかしいですが。
素直に正直になれるっていいですね。楽しい!
「あ!これ打っていて思いましたが、それ込みの自分も認める。」ってこと⁇
誰にも見せないものだからこそ誠実に自分に向き合えます。
潜れます。
そして、最初はそれ(自分がよければ、楽して)でいいんです。
いや、そこが大事なんです。
多くの人が自分を抑圧して「そんなふうに思ってはいけない、利他、献身的に生きなければならない。楽しちゃいけない」なんて無自覚に「ねばならない」と生きています。
でもね。
「楽」って「楽しい」ってことじゃないですか。
楽しく、楽しんでって悪いこと?
「自分さえ良ければ」って悪いことでしょうか。
まず自分が満たされなければ他者を満たすこともできないんじゃないでしょうか。
自分が満ちれば(喜びで)そこからあふれたものが他者を満たすのではないでしょうか。
それがなくて(自分が満ちるということ)最初から世の中のために、他者のために、自分を殺して奉公しなければと思いこんでいるから辛いし、むしろ結果はそうならないのではないでしょうか。
最初は自分から。
そして「楽して」でいいんです。
「楽」といったって苦しかったり、困難だったり、地道な努力を要することはあります。
それでも(つらくとも、困難でも)やってしまう、やりたいことだってあるはずです。
それが本来の「楽」じゃないかと思います。
最初は自分を満たすことからはじめても大丈夫です。
以前、タイのチェンマイへ瞑想合宿に行ったことがあります。
そこそこの敷地をもつホテルに軟禁状態で、ひたすらに瞑想をしました。
- 寝るより瞑想すること
- 運動はだめ(散歩くらい)
- アルコールだめ(タバコも)
- インターネット及び他者とのコミュニケーションも駄目
観光みたいなことはひとつもなく、ゆるめの修行です。
ホテルなので食事は美味しい(質素ですが)ものが用意されました。
数日して感じたのは
「これって天国じゃないのか?」
というものでした。
そしてわかったのは
“ 天国はつまらない ”
ということ。
波乱や衝突も含めた他との交わり、思い通りにならないからこそ、それを叶えようと、超えていこうとすること。
不自由という制約が生きることを楽しむルールなのではないかと。
釈尊(お釈迦様)は 2500 年も昔にとっくにそれに気づいてたんですね。
一切皆苦(いっさいかいく)
人生、わたしたちの暮らすこの世界は思い通りにならないことばかりだと。(この場合の「苦」は「苦しい」ではなく、思い通りにならないという意味)
「自分さえ良ければ」
「楽して暮らす」
最初はこれらを望んでも、やがて「それではつまらない」ことに気づきます。
天国(自分さえいい、楽な暮らし)はつまらないのです。
でも、それに気づくにはまず 天国を求めたり体験する必要があるのだと思います。