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“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

瞑想で自己「脱」洗脳

メディテーション(瞑想)をなぜするのか。

するとどうなるのか。

講座やワークショップでよくある質問です。

ふだんの会話でもよく聞きます。

なぜするのでしょう?

するとどうなるのでしょう?

これはなかなか答えにくい質問です。

「これ」という唯一の回答がないからです。

瞑想(法)もたくさんありますし、瞑想に何を求めるのかも人によって様々です。(宗教においてはそれ自体が目的なのでしょうが)

また、瞑想の実践を受け取る「受け皿」としての自分の在り方、そのときどきの状態なんかも関係します。

わたしもやってきて、はじめた当初と最近ではまるで違いますし、これからも変わっていくかもしれません。

と書いていくと、結局答えは出てこないので(実際に聞かれたときには相手、ニーズにあわせて対機説法のようにして答えます)

知人の体験からひとつ例を紹介します。

この人はとある団体に3年ほど属していたのですが、瞑想を毎日するようになって、あることに気がついたそうです。

その団体でされていることは、、、

完全に「洗脳」ではないかと。(写真はイメージです)

洗脳というとちょっと刺激が強いかもしれません。

そして、広く解釈すればほとんどの人は大なり小なり洗脳のような価値観の書き込み、刷り込みは日常的にされています。(マスメディアなんかはわかりやすいですね。とくに例の感染症騒ぎ)

そういうのではなくて、ビジネス(その団体の利益)を、ようするにお金儲けに利用する部分で「洗脳」がじつにうまくされていたなと気づいたそうです。

その団体はけっして反社会的な活動をしているわけではなく(むしろ逆でボランティアなんかも積極的にされているそうです)

信者(わかりやすいのでここではそう呼びます)も喜んで、幸せややりがいを感じて参加しているそうですが、知人はそれを洗脳だと気づいていっきに冷めたそうです。

人に、社会にいい影響を与え、信者も満足しているのになぜ「洗脳」というネガティブな認識に変わったのでしょうか?

彼いわく「信者を成長させずにおなじ階層をグルグルと回らせているから」だそうです。

そのグルグルが教団(比喩です)の利益につながっているわけですね。

いわゆるプチカルトのような。

悪いことをしているわけではないので(どちらかというといいことをしているわけですし)その彼も被害者意識なんかはないということでしたが、けっこうな金額をお布施(比喩です)として出していたとのこと。

瞑想することで自分の深いところに触れて、それによって客観的に(事実をそのままに)対象をとらえ、カラクリのようなものが観えたのかもしれません。

ひとつそのカラクリが観えたら(意識できるようになったら)次々とその他のカラクリも観えてきたそうです。

「よくできてるな〜」と感心するほどに。

ある偉大な魔法使いが「脱」洗脳についてこんなことを言っていました。

瞑想などの深い変性意識状態に入ることで気づいてしまえば(今回の例でいえばそのプチカルトに)自然とそれ(脱洗脳)は起こると。

「癒やし」ともいえるかもしれません。

これは他者からのこと(洗脳的な)に限らず、自分自身についても起こります。

だから「起きていることをハッキリと観る」ことは重要で強い力を持ちます。

自分で自分を洗脳していることも多いからです。(それと気づかずに)

一度やって「わかった」ということはなかなかないと思いますが、実践してそういった制限、足かせのようなものから自分を解放していくのも冒頭の質問への答えのひとつになるかと思います。