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“お芝居をしないと、この社会では異邦人として扱われるほかない”

言葉の向こうに迫ること

文字は読んでいても
なんと書いてあるか
読めてないことは少なくありません。
(眺めているだけということも)

たとえば以下の文章。

原文(訳文)を抜き出してみましょう。
(長いんですが)

つまり、存在するいっさいのもの、現象するいっさいのものが結局のところ示しているのは、世界など存在しないということなのです。

というのも、いっさいのものが存在しているのは、世界が存在しないからにほかならないからです。

世界について考えることはできません。もっと正確にいえば、それは「無以下」のものでしかありません。世界についてのいかなる思考も、世界のなかでの思考です。

上方から俯瞰して世界を考えることはできません。ですから文字通り、世界について考えることはできないわけです。

この世界「全体」についてのどんな思考も、真偽に関わりうるものではありません。そこで考えられているはずの対象が、じっさいには存在しないからです。

なぜ世界は存在しないのかマルクス・ガブリエル より。

文字は読めるけど
なんて書いてあるか読めない
ものを
それでもなんとか、

必死で読もうとすると
深い変性意識に入ります。

こうした文章をふつうに読める
(理解できる)人はもっと難解なものを。
(わたしは、まったく読めず、チンプンカンプン)

これもまた十分に瞑想ではないでしょうか。

文字面を追いつつ、言葉のその向こうにある
「なんと言おうとしてるのか」に迫ろうとする
「言葉を超えた先にあるもの、いや、その源であるもの」に触れようとする思考状態。

ワタクシはこれもまっすぐ立派に
瞑想(的な行為)だと思います。

母国語でない他言語で書かれたものでもいえますね。

ワタクシは英語力が低いので
平易な文章で書かれたものでもかなり苦労して(必死に)読みます。

なので、簡単に瞑想モード(必死モードといってもいい)に入れます。

もちろん、英語がすでに堪能な方はスペイン語とかラテン語とか。

この場合大事なのは興味のあるものを選ぶこと。

大変だけれど読むに値する(ようするに楽しい)ものであること。

でないとただの苦行になって何も得るものはありませんから。

大変だけれど、苦労するけど、困難にもあうけど、

そうとは感じずにやってしまうこと
取り組んでしまうことってあると思います。
(楽しい、好きだから)

ここは大事ですね。

瞑想においても。

そして、やはり「ゴール」です。

一時期スペイン語にトライしてたことがありますが
スペイン語が読めるようになってどうなるというヴィジョン
(ゴール達成後にみえる世界)を持っていなくて挫折しました。
(ゴールがなく、それゆえに重要でもなく、だから挫折というものではないですが)

瞑想するにも、難しい本を読むにも、他言語を学習するにも
なにごともゴール設定を忘れずに。

時間と労力を無駄にしないためにも。

そして成果を最大限にするためにも。